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肉食系ビーガン

荒川クリスクロス 実力主義というぬるま湯

2021/05/02(日)2:05:41, 60.3km, 190TSS, 荒川クリスクロス

<練習内容>

WU:川へ移動

 

MS1:クリスクロス30分

30:50, 268W

最初は淡々と踏んでいたが、途中からつまらなくなってクリスクロスに変更。ただただ踏むより飽きなくていい。2分おきに30秒ほどダッシュ

(RI:5分)

 

MS2:クリスクロス20分

20:33, 298W

今度は最初からクリスクロスを行った。ペースを高く保ち、閾値のギリ下で回復しながら走る感じをイメージ。ダッシュは500W以上、30秒とかそんな感じ。

(RI:22分)

 

MS3:スプリント2本

0:14 946W 50点

0:12 1108W 90点

2本目のかかりがとても良かったなと思って振り返ってみれば、2021で2番めに良く、5秒1261Wだった。2021年ベストは1351Wだが、もうちょいフレッシュならそれも狙えたと思う。

 

MS4:エンデュランス

26:34, 235W

途中から雨に打たれた

 

CD: 家に移動

 

f:id:susutatakumi:20210502175322p:plain

 

<雑感>

体調 80点

達成度 70点

気分 70点

 

本当は鹿野山に行っとかなければいいけないんだろうとはわかっていたものの、気乗りしなかった。やはり一人で170km走るというのはハードルが高い。妥協案として荒川へ。結果雨だったので、ロングにしなくて良かった。

 

荒川までの移動もだいぶ最適化されて、最短最速最楽最安全ルートで脚を運べるようになった。こういう些細なことも、ソロ練だと試行錯誤しなければならず辛いところだ。

 

今日は2分走10本とかそういうハードコアな練習をしようかとも思ったがそこまでのやる気も出ず、結局クリスクロスをやることになった。結果としてみれば2時間で190TSSというにわかには信じがたい数字を叩き出し、十分なトレーニングを積めたかのような雰囲気を醸し出すことに成功した。スプリントやるとTSSは跳ね上がってしまうんですよね。あとはまあ、FTPが過小評価されているというのもある。

 

<雑記>

自転車に乗っている時間は暇すぎていろんなことをあんがえてしまうのだが、今日は実力主義というのは考えようによっては最高にあまっちょろいのではないか、とか考えながら走っていた。

 

例えば入試や自転車競技なんかは実力主義というにふさわしい状況を呈している。入試はテストの点数で客観的なスコアで評価されるし、自転車もパワーウェイトレシオで評価されたり、レースの順位というわかりやすいスコアで白黒はっきりと評価される。

 

ところが別の競技だと少し話が変わってくる。例えばバスケはコートに立てるのが最大10人で、最初に「実力がある」と評価された人間が長くコートに立つことになり、「実力がある」という評価が自己実現を果たすことになる。もちろん、才能をキチンと見極めた結果という側面もあろうが、評価の自己実現という側面も否定できないと思う。

 

ここで、最初に「実力がある」と認識される要因は何か?という話が出てくる。バスケの場合身長という客観的で数値化しやすい評価軸があるからまだ公平なジャッジの要素があると言えるが、また別の競技になってくるとどんどん怪しくなってくる気がする。とにかく、「実力主義」と考えられているスポーツの世界でも印象とか勘によるジャッジが後々まで響いているのは間違い無いと思われる。

 

で、会社とかになってくるとさらに「実力主義」という言葉は説得力を失う。まず入り口の入社試験の実際の現場では、学歴と筆記試験のスコア以外の評価について、はっきりいって印象で決めている。資格なんかもあんまり評価されないようで、「知識なんてものはあとからどうにでもなる」の一言でバッサリ切り捨てられるのはザラだ。

 

入ってからの評価も、営業みたいに金でスコアがついているならともかく、そうでなければこれもまた印象でしかないようだ。本当に実力を成果で測るというのならば、例えば経理なんかだったら単位時間当たりに切った伝票の数と正確さで評価されるべきだろうが、そんな話は寡聞にして聞かない。

 

ここで私が言いたいのは、「実力があれば勝手に評価されると思ったらいけないよ!」という話ではなく、「だれも真面目に実力なんか評価していない」ということだ。言い換えれば「印象主義」といえる。是非はともかく、世の中そうなっている。

 

そして、ようやく本題に入るのだが、京都大学自転車競技部は実力主義に馴染みすぎて、社会に対して適応障害を引き起こしているように思う。要は、入試や自転車競技のように「印象」の入る余地のないスポーツに馴染みすぎて、就活や社会人活動のような「印象主義」のスポーツに適応できないのではないかと思うのだ。自転車競技部には頭のよさと強い精神力と高い計画性を兼ね備える諸先輩後輩がたくさんいるのに、社会にでると意外とぱっとしなくて、むしろ自転車が弱い(頭が弱かったり精神力が弱かったり計画性が無かったりする)人のほうがいい会社に入ってたりする。なお私は自転車も就活も激弱でした。

 

結局、社会に出てからは結果を出すこと以上に、でかい声で喋る、清潔感を出す、(正誤や根拠を問わず)ハッキリ主張する、筋トレをして迫力のある体にする、背筋を伸ばして目を見て堂々と喋る、シケたツラをしない、おおきな身振り手振り、という要素のほうがずっと大事で、いつまでも実力主義を掲げているのはゲームのルールに従わないという意味で甘えた考え、ということになるのでは無いだろうか。しらんけど